昭和40年06月03日 夜の御理解
今日夕方でしたが高芝さん達が、草野に嫁についとりませす娘さん息子さんですね。この子達二人と四人でお参りして見えてから色々、お茶でも頂きながら話しさせて頂いてる時あの、美智子さんがこう言う事言うんですね。「先生私しは、あの家のお父さんの様な人に、あの貰うて貰たかった」って。もう娘ん時から思いよったって。家のお父さんの様な人に行きたいと思とったって。
それ聞かせて頂いてから、本当に私のあの高芝さんをまた、ある意味で見直した様な気がしたんですよね。自分の娘からです。もう主人にするなら家のお父さんの様な、人をという娘からそれだけの信頼、又は好かれておるお父さんとは、と言う事は幸せだと思うんですね。私は思うんですけれどもなら果たして例えば、あ高芝さんが今度ね外に出られてからですたい、本当にあの高芝さんの様な人はあんな良い人はない。
とかあの人の様な実意丁寧な人はないとか、なら椛目のお広前でですたい。高芝さんの様なというのじゃなくて、椛目なんかでどちらかというと、高芝さんにどう言われたとか高芝さんにこう言う態度をとられたとかって言う人が、あんがい多いのに驚くです。ですからいかに、あの高芝さんがそんなら、家で自宅ではよいかと言う事が分かるですね。してみるとあのよく世間でいう、家まえが悪いとか外まえが、悪いとか言う事を言うんですけれども、信心させて頂く者はです。
成程自分家の中ででも子供達にからでも、家内からでもですたい。なら家のもんがお父さん、嫁に貰うて貰って幸せであった。とか貰うて貰うならば、家のお父さんの様な人に貰うて貰たいとかって、娘達が言う位なよいお父さんでありたいと同時にです、社会でも矢張りそういう人の能うですかね、信用を集めて行けれる様な、おかげを頂きたいもんだなあと。私はここ二、三日の内だけでも、高芝さんの事でですね。
色々こう頂いているんですよ「高芝さんからこんな事言われた。もうとに角私は、あの人からこう言われてから、一晩中寝られなかった」と。これはもう次々と違う人からですよ。だからもうですからですね。そのそれから考えてですたい。いかに例えば、そんなら家の生活と外の生活が違うかと言う事を思うんです。ですから高芝さんが本当にあの、家庭でよいお父さん振りを発揮しておられる様にですね。
ここでよい総代さん振りを発揮される様になられた時が、本当のもんじゃないだろうかなと、言う風に思うたんですけれどもですね。私共の場合はさあどっちの方へなるだろうかと。よそでは例えば家のあの、久富繁雄さんの息子さんの、長男の国雄さんが言われるんです。「親先生はほんな繁雄さん繁雄さんちいうちからもう自慢の( ? )ごといいなさるばってんから。
家ではそうではないと言う様な意味の事を言えんです。(笑い)ですから高芝さんとこの、なら久富繁雄さんと一つにすれば、立派なもんだと言う事になるですね。とに角親先生が繁雄さん繁雄さんていいなさる筈じゃ。うちでもほうとうに素晴らしいお父さんであるという所にですね、私しは本当の信心の徳というのが、人徳はそこ片一方努力すれば出来るんですけれども、この両方が出来る様に成った時に、神様のご信用と言った様な頂き方じゃなかろうかとおもうんですね。
おかげを頂きました。